窓の外の新緑  活用してないモノを捨てたい

いつの間にか冬ざれた木々が瑞々しい若葉に覆われていました。

引っ越し完了。広々した部屋。窓から新緑があふれてます。小田急線の見えるこのおうちにきたのは令和元年5月8日、ピッタリ一年して2020年5月9日退去。たったの一年のご縁でしたがこの部屋でもたくさんの方とパンを作りました。一ヶ月平均30人として、一年で延べ360人!ありがとうねー。いろいろ失敗もしました、不手際、物忘れ、みんな許していただいてありがとうございました。なぜかパンの生徒さんたちはみんな優しい方ばかり。

何回やっても最後のキッチン周りとかが、ギリギリになります。昨日もそれが大変でした。あとの案件はフレッツ光の解約。やろうとしたら、なんと6日後に立ち会いが必要とか。いやいや、もう引っ越しちゃったから立ち会えません!仕方ない、管理会社に頼むことに。その件で昨日はソフトバンクにオペレーターとのチャットをしようとしてもしても繋がらず、あきらめました。コロナのせいだそうです。

なんでも早め早めにしましょうねー、反省。

★このへんからは独り言で頭を整理してるだけなので読まなくていいです★

それにしてもダンボールの数がすごい。40はあったかなー。ミニマリストにはなれないにしても、ちょっとモノが多すぎ。70年生きてきたらこうなるのかな。手紙、日記、子どもの作文などの思い出、アルバム、お雛様にクリスマスツリー、こんなので10個はいきます。文房具がダンボール1個、使うのか?ホッチキスが3こ?彫刻刀は二箱。手紙セットがごっそり、各種カード、絵葉書も百枚くらい、なん種類もの可愛いシール、、、マキシマニストか?

新居はまたたく間にダンボールでいっぱい。床が見えない。

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もし、すべてのものを手放したら、どんな気もちになるだろう。

まず、二十歳から50年間、持ってきた日記帳。何十冊もの大学ノート。これを捨てるかどうか、これは新しい私になるための儀式になるかもしれない。いつまでも過去を引きずってる、過去を振り返り懐かしんだり後悔したりする、過去の自分を再体験する、そんなことは必要なのか?大切なのは今を生きることなのに!

わかりました。あしたから一日一冊ずつ捨ててみよう。どんな気もちになるかはそのうちわかるでしょう。そうやって加速度的に捨てられる人になりたいです。

観葉植物!娘の形見の巨大パキラ。一人では持てないくらい大きく育った月桃。下宿のMちゃんが置いていった花の咲かない観葉植物。一枝もらって挿したらおおきくなったアロマティカ。何年も生い茂ってる折り鶴蘭、十年前に引っ越し祝にいただいたポトス、一年前の引っ越し祝のパキラ、が5年前にミニ観葉でかったのに巨大になったアロエ(美しくも可愛くもなく、ただトゲトゲとしてゴワゴワ、怪獣みたい)。金のなる木二種類(金はならない)。以上、生きてるのに捨てられないでしょう?

お客様が多かった。食器がいっぱい。箱にいれてしばらく出さないことに。

洋服。ジーンズと白シャツだけにしてみようよ。スチーブ・ジョブズだって黒のタートルネックしか着なかった。

ツーリストらしく、スーツケース一つで生きられないものか?このへんで思い切らないか?人生はもう十分楽しんで、あとは旅をするならば、こんなにモノはいるのか?猫が死んだら旅に出るんじゃなかったか?猫だけが自分の足かせだったのではなかったか?何やってるの、自分。

そうでした。猫が死んだら旅に出るのでした。コロナが流行らなければ、今年の夏にでもシベリア鉄道に乗るのでした。この大量のモノはもう私には必要ありません。

「僕たちにはもうモノは要らない」!のです。

ふー、ガランとした部屋では思考が働きますね。

あ、電車!

こんなに近いのに静かな小田急線でした

了解です。パンは生きていくためのお仕事なのでパンの道具は必要です。絵は、そのために生きてるので、絵の道具も必要です。あとは必要最低限にしましょう。身軽になりましょう。目に見えるモノで身を守るのではなく、勇気と自信と知性と愛で身を固めましょう。何回でもさっと引っ越せる人でいましょう。

執着心を捨てましょうぉぉぉ!

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